日本人メジャーリーガー、野手編|岩村明憲
野球に限らず、スポーツに関する映画やマンガなどで、
時代を越えて人気を博する一つの定型が、
弱小チームが次々と強敵を破り、頂点へと駆け上がっていく、
サクセスストーリーである。
中心人物となるのは、監督の場合もあれば、
何人かの個性的な選手が、中心の事もある。
現実にはなかなかあり得ない話だが、
それに近い事を成し遂げたのが、2008年度の、
タンパベイ・レイズで、不動のレギュラーとして、
活躍した岩村明憲だ。
トップバッターとしてチームをけん引し、ピンチの時には、
投手に声をかけ鼓舞する姿は、それまでの日本人野手には、
あまり見られない新鮮な姿だった。
レイズは1998年に創設され、10年間弱小の名を、
欲しいままにした、球団だった。
一度を除き、他はすべて地区最下位で、
他球団の白星の、草刈り場と化していた。
それまでの球団名、『デビルレイズ』から、
『レイズ』へと名称が変更された2008年、
レイズは怒涛の快進撃を見せる事になる。
それまで、接戦にことのほか弱かったチームが、
若手投手陣の成長や、粘り強い打撃と強固な守備力で、
ヤンキースやレッドソックスといった強豪を抑え、
開幕当初から首位を快走したのである。
その中心の一人となったのが、セカンドに、
コンバートされた岩村で、ショートのバートレットとのコンビは、
”イワーレット” との、相性が付くほどの安定感を見せ、
初のプレーオフばかりか、ワールドシリーズ出場という、
シンデレラ・ストーリーを、成し遂げたのである。
岩村の功績は、野球以外の部分で積極的に、
コミュニケーションをとり、チームのムードメーカーとして、
活躍する道筋を切り開いたことだ。
それまで、日本人選手は野茂やイチローに、
代表されるように、寡黙なイメージの選手が多かった。
現在そうした日本人選手として、ブルージェイズの、
川崎宗則が有名だが、その元祖的存在と言えるのが、
岩村なのである。