日本人メジャーリーガー、野手編|新庄剛志





2001年当時、阪神のスター選手だった新庄剛志が、
阪神の5年12億円というオファーを蹴って、
わずか2200万円という最低年棒で、メジャーリーグの、
ニューヨーク・メッツと契約したニュースは、大騒動を巻き起こした。


通用するはずがないという意見が多い中、
その勇気ある挑戦に、拍手を送る者もまた、少なくなかった。


当時メッツの監督が、千葉ロッテマリーンズで長年監督を務めた、
ボビー・バレンタインだったことも幸いしたのか、
勝負強いバッティングと、抜群の守備力で、出場機会を増やし、
時には、4番を務めることさえあった。


成績は平凡な数字だったが、予想外の活躍に、
日米の野球関係者は驚いた。


その守備力が認められ、新庄は2002年、
バリー・ボンズのいた、サンフランシスコ・ジャイアンツに移籍し、
日本人初のワールドシリーズ出場、初ヒットを記録する。


惜しくもチャンピオンを逃し、2003年、再びメッツに移籍する。
これが、新庄の運命を大きく変えることになった。


重宝してくれたバレンタインは、
すでにチームを去っており、出場機会に恵まれなかったのだ。


イチロー、松井の活躍もあり、新庄の名は次第に忘れ去られていた。


しかし、不屈の精神の持ち主である新庄は、驚くべき決断を下す。


なんと、北海道に移転したばかりの、
日本ハムファイターズへの入団を、発表したのだ。


日本ハムに移籍した新庄は、絶大な人気を誇り、
チーム強化が進んだ2006年、日本ハムが、
44年ぶりの日本シリーズ制覇を成し遂げる、原動力となった。


それは、「新庄劇場」と呼ばれ、多くの人々に、鮮烈な印象を残している。




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